エストニア発 旅しながら働くデジタルノマドの「大航海時代」に

仕事、学び、そして人生。あなたを取り巻く環境から、肩書きや社会的な立場を取り除かれたら、目の前にはどんな世界が広がるだろうか──。「電子国家」として名を馳せるエストニア。世界中どこでも働ける「デジタルノマド」を支え、エンパワーする5人の起業家を本誌副編集長の谷本有香が取材した。

そこから見えたのは、個人の偏愛や嗜好性が際立つ「私が主役」の世界だった。テクノロジーによって新しい働き方を実現する未来を先取りし、誰もが主役になれる世界。今、新しい旅が始まる。

初対面の挨拶を交わすと、彼女は間髪入れずに聞いてきた。

「今、抹茶に凝っているの。お勧めはココナッツミルクで割るラテだけど、いる?」

レンガと木の素材が生かされたロッジのようなオフィスに入ると、高い天井から吊るされたブランコが目に飛び込んできた。

私が最初に通された場所はキッチン。彼女はおもむろに抹茶茶碗と茶筅を取り出し、「自己流なんだけどね」と茶を点て始めた。エストニア発のスタートアップ、Jobbaticalの創業者、カロリ・ヒンドリクスだ。

実は約束の時間から1時間ほど待たされた直後、このおもてなしである。窓からは春が近づく季節にもかかわらず、雪が舞い降りるのが見える。そんな雪景色と、彼女のシンボルカラーである赤のスーツとのコントラストに目を奪われていた。時間を気にすることもなく、丁寧に抹茶を点てる彼女の後ろ姿を見ていると、外国からの来客を楽しんでいるようにも見える。

彼女は微笑みながら私にカップを渡す。「お口に合うかしら」。

「海の見える場所で、3カ月間だけソフトウェア開発がしたいけれど、どんな企業がある?」。そんな要望に答えてくれるが、Jobbaticalだ。いまや、スカイプに次ぐエストニア発サービスの代名詞のように語られる。住みたい国や関わりたいプロジェクトをベースに、優秀な人材と企業を世界規模でマッチングさせる転職サービスプラットフォームだ。

「Job(仕事)」と「Sabbatical(長期有給休暇)」の概念の造語を企業名としている通り、世界を旅するように働きたいクリエイティブ人材をターゲットにしている。2014年末にローンチし、わずか4年でユーザー数30万人を突破し、世界中に広がっている。

彼女は突然こう切り出した。「いま、最もアクティブユーザーが多い国はどこだと思う?」。私が「アメリカ?」と答えるとうなずく。首位のアメリカにインドが次ぐ。「最近は、実に興味深い動きがあるんです。Jobbaticalにもブレグジットの波が押し寄せているの」。

ブレグジットの問題に激しく揺れたイギリスのユーザーが、この1年で激増したというのだ。

「Jobbaticalのサービスを利用する人たちが重要視する要件のひとつが『変化』なんです。自身が身を置く環境が、否応なしに変化にさらされる時代の中で、それを敏感に感じ取った人たちがそれを受けてアクションを起こし始めている。しかも面白いことに、変化を味わえる場所に自らを置きに行くの」

それはなぜか。「変化はチャンスだから」とカロリは指摘する。その変化の中でこそ、挑戦が求められる。自身の能力を発揮しやすく、成長も実感できる。

「そういう私も、最初の起業以来、ずっと自分を『変化中毒』だと思ってますから」

現在35歳の彼女が早くも起業家と呼ばれるようになったのは16歳のときだ。冬など日照時間が4〜5時間程度になるエストニアでは、暗くなると、すべての歩行者は発光するものを安全上身につけなければいけない。そこで、彼女はアクセサリーにもなるお洒落な反射板を発明、その特許を得て、国内最年少の起業家となった。その後、ヨーロッパを代表する起業家の階段を上っていく。

Jobbaticalの創業者、カロリ・ヒンドリクス

19歳で欧州議会でスピーチをし、23歳にはMTVエストニアのCEOに抜擢された。「そこで『オンデマンド』っていう言葉に出合うんです。好きなときに、好きな場所で、好きなコンテンツを視聴する。これは、『働く』という領域でも使えるんじゃないかって思ったの」。メディア業界でキャリアを積み、次なる挑戦を前に、8日間の休暇を過ごすためマレーシアへ。

「私が集めてくるさまざまな経験を積んだ人たちを賢く活用する場があったら素晴らしい事業になるのでは?」というアイデアと共に、旅行中に時間を持て余し、こんな思いに駆られた。

「旅をしながら仕事ができたらいいな」

12年にはシリコンバレーのシンギュラリティ大学に通った。カロリは毎朝グーグルのキャンパスの前を走りながら、自分に問い掛けた。「なぜシリコンバレーには急速に成長を遂げている企業が多いのだろうか」。それから自らのアイデアと照らし合わせて問う。「エストニアのような無名な小国で、どうしたらインターンではなく、実践力となる人材の確保ができるのだろう」

実は旅先のマレーシアでも優秀な企業集団を目にしていた。シリコンバレーのような場を創出するために必要なこと。それは「知識の分配や拡散がすべて」だと気づく。帰国後は娘が生まれて子育てに専念したが、娘がちょうど1歳になったとき、ついに「Jobbatical」の立ち上げに取り掛かった。構想から約2年の思索の旅だった。まさに自身の「個」の体験を基にしたアイデアをサービスに詰め込んだ。

最近カロリがサービスを通じて注目しているのは、国がどのように変化に対応しているかによって集められる人材の質が変わってきているということだ。例えば、シンガポールやエストニア、マレーシアなどは、働き方の環境整備など、時代の変化にスピード感をもって対応している。どの国よりも早くJobbaticalに賛同してくれたのもそれらの国々だ。

結果、世界的にトップ技術を持ち、どこでも働けるロケーション・インディペンデントな人たちから選ばれ始めている。実際、Jobbaticalのサービスの中でもユーザーの人気国である。つまり「変化」こそが、優秀な人材確保のキーワードとなっているのだ。

「make a difference」しながら働く

「エストニアもまた、国自体が『変化』を生み出さなければ生き残ってこられなかった歴史的・地政学的な背景があるんです」。歴史を紐解けば、エストニアは常に近隣国の領土争いに翻弄され、ロシアなど様々な国の支配を受けてきた。1991年に名実ともに独立したが、何もないところから始めなければならなかった。

「避けては通れぬ、激烈な変化を目の前にしたとき、必要なのはチャレンジング・スピリッツだと思うんです」

そして、彼女自身が多大な影響を受けたという、エストニアの改革推進を担った大統領の言葉を教えてくれた。

「エストニアはスタート時点でかなりの後れを取っている。だから私たちは、他の国々を追従することはできないのだ。ならば我々に唯一残されている最上の道は、まだどの国も実践していない新しいやり方を見出し、それに向けて跳躍(leap)するということだ」

「make a difference」という言葉で「変化」を表現するカロリ。エストニアという国も含め、彼らにとって「変化」とは、単なる存在様態の移行を指しているのではないのだろう。そこには「創出」という概念が深く内包される。つまり変化し続けることで、時代や外的因子に流されず、物質的だけでなく精神的にもより良い環境をつくり上げてきたのだ。

ただ、変化することはいつだってリスクを伴う。私は疑問をぶつけてみた。「リスクを取ることで、あなたを支える『安心』や『安全』の基盤が揺らぐかもしれない。なのに、なぜ挑戦できるのですか」。

答えは、「多様性が許容されることへの安心感が根底にあるから」。子どもだったカロリが、最初のビジネスアイデアを父親に話したとき、彼は「そんな馬鹿げたことを考えていないで勉強しろ」とは言わなかった。代わりに「素晴らしいアイデアだね。すぐにパテント事務所に行って、特許登録をしてきたほうがいいよ」と言った。

「パテントという言葉を初めて耳にして、訳が分からず、とりあえず事務所に行ってみると、16歳の女の子を見てスタッフはびっくりしていたわ。けれど、無料で調査するだけでなく、その後も支援し続けてくれたの」。エストニアの大人は、子どもたちの可能性と、彼らこそがこの世の中を変えてくれることを信じている。この安心感こそが、変化に飛び込むセーフティネットとなっている。

「私」を生かし、国境を自由に飛び越えて働く時代がすでにやってきている。そこでは、自身を含め、変わり続けることを前提とした、伸びやかで柔軟な世界がある。「個」の揺るぎない、また、譲れないコアやアイデンティティを見つけ、それが守られるのならば、恐れるものなど何もないはずだ。

若くしてヨーロッパを代表する女性起業家になったカロリ。 彼女はいま世界中をまわり、Jobbaticalと共に「No Border」の世界を創出してくれるパートナーを探している。「私の夢は、Jobbatical自身が世界のデジタル・アイデンティティになること。つまり、あなたのパスポートになるの。そうなったら素敵だと思わない?」。

すでにいくつかの政府と交渉を始めているカロリ。移住や移動のための煩雑な審査の壁をなくし、人々が不必要な障害を乗り越えることなく、目標を達成できるようになる。そんな世界は目の前にある。


カロリ・ヒンドリクス◎JobbaticalCEO。国内最年少の16歳で起業し、23歳でMTVエストニアCEO就任。2007年「欧州を代表する若手起業家20」に選出される。14年Jobbatical創業。17年にはフォーチュン誌「Most Powerful Women International Summit」の講演者に選出。6歳の娘を子育て中。夫はLeapIN CEOのアラン(p.42)。愛犬の名はアイディ。(Fobes Japan)

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